でびでび・でびる様と鈴の残響
今年のお盆は8日間の連休だった。今日はその最終日。
大学を卒業し、職に就いてからは最大の連休だったような気がする。
無職の期間は6ヶ月くらい連続休みだったけど、連休という感覚ではなかった。
今年は久しぶりに感じる「夏休み」感があった。
この連休を過ごすに当たって、お盆ということもあるし、自分を見つめるために以下の3つの目標を掲げていた。
・描きかけの絵を完成させる
・朝起きて、自主的に夏休みBSアニメ特選として絶対少年を視聴
・風花雪月を進める
結果から言うと、全然達成できなかった。
描きかけの絵は描きかけのままだし、絶対少年は辛うじて見たけど全然朝じゃなかったし、どうぶつの森やスプラはやったのに、風花雪月は触らずじまい。
そして終わってみると、全体的にじさんじに彩られている。
でびる様の3D配信の発表に思いを馳せ、でびる様のLOLプレイにはらはらし、でびる様とエッチなゲームをしたり、スイカを食べたり、にじさんじ甲子園に熱狂した。
他にもでびる様の好きなマンガである王家の紋章をちょっと読んだり、別に何の関係も無い暁のヨナ(新ライバーの演劇部の人が好きだったみたい)などの少女マンガを読んだり、レヴュースタァライト(再生産版)を見たりした。
まあ目的はあまり達成できなかったけど、そこそこ充実したんじゃないかと思う。
今回見た絶対少年という作品には「世界というものは人間が認知するよりもずっと複雑で、起きたことはすべて必要なプロセスだ」という。
今年この期間にこの状況でこう過ごしたことも、おそらく必要なプロセスなんだろう。
何につながるのかは知らないが、満足しているからよしとする。
メメント・モリという座右の銘を思って、まあもう一回たとえばこの期間を過ごせるとしても、大体似たような過ごし方をするんではないかな。
それにしても、絶対少年という作品はこの時期にぴったりの作品だった。
少し不思議なものとの遭遇。
それは何かの意思が介在するものか。べつになんでもないただの出来事なのか。
たとえば、雲の形がケーキだったときって何かの予兆なのかな…って言う作品だった。
そのケーキというかたちを読み取るのも人間の意思が介在するわけで。
不思議なものを見たからといって、自分が知らないだけで世界では当たり前なのかもしれない。
人間という生物がこの世に何の気なしにいるし、幽霊がいたところで、ただ何の気なしにいるだけなのかも。
お盆というもの。聖と俗が分かれる期間。ハレとケ。
父が今年の初めに死に、初盆を迎えたが、特別なことは何もしなかった。
別に、父のことは毎日思い出しているし、父に学んだことは日々を送る中でことあるごとに再確認している。
私と父の信頼関係において、盆だから何かすると喜ぶとかは別にないと思っている。
私は明日から日常に戻っても粛々と生きねばならない。
仏壇においてある鐘は、名前を鈴(りん)と呼ぶらしい。
このお盆、鈴を鳴らすたび、その響きが聞こえなくなるまで父のことを集中して思っていた。
音が小さくなっても耳を近づけると、かすかに鈴の音は聞こえる。
そうしたのち、やがて鈴の響きが完全に聞こえなくなっても、その音は耳に残っている。
人が死に、形がなくなっても、記憶が残るように。
鈴の音はずっと耳に残り続ける。
父のことを思いながら、明日からまた描きかけの早瀬走ちゃんの絵を描きます。
でびる様の絵もまた描きたい。
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