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でびでび・でびる様と方向転換

 なんだかいろいろやっているとあっという間に12月になりました。 でびる様を異様なまでに考えて生活している人間がいたら面白いかもしれないな、と思って日記ブログを立ち上げたわけですが、考えていることをそこまで文にできるわけでもなく、考えたとてだいたいのことは下らないわけで、日記にする意味もないなと思って9月の最終更新から12月までうじゃうじゃと伸びておりました。 やろうと思ったことを頓挫するのは、やはりでびる様に申し訳ないね。 実は6月6日悪魔の日にとかにでびる様の絵を描いてお褒めいただいたり、でびる様賛歌の歌詞をあーこのハッシュタグに送って微妙に採用されたりするのをいろいろな名義でやっていたりはしたのです。 ただ絵を描くのも文書くのも遅いということで、誕生日には間にあわなかったりして結構よくない。 その点、2021年はがんばるぞ。 毎回年末年始になると、やっぱり文章でがんばるべきだという思いが募る。 もちろんどっちもできたら最高なんだけど、文章のほうが向いてる気がする。 昔から絵を描いているけど、考えていることを伝えるのは文のほうがまだスピード感をもたせることができて自分にあっているかも。と思い始めている。 絵を描くのも好きなんだけど。布教に向かないのかな。 そして、最初は誰にも見られないところでやってるのも面白いと思い、ノーリンクでやっていたけど、さすがに限界というか。だれも見なければ面白いも何も、虚無ですよね。 そんなわけでもう少し人の目に付く形で布教活動をしたいと思い、noteに移ろうかなと思っている。たぶんあそこもブログだ。 アンドロイドのホーム画面を右にスワイプすると、グーグルアプリのニュースが出てくる。 これに結構noteの記事が出てきて、わりと目に付くんじゃないかと思うわけです。 別に毎日更新しなくても、でびる様の配信を見て、めっちゃおもしろい!みたいな記事を書けば、たまたまニュース見た人が来てくれるもしれない。 それもまた布教の形としてちょっといいかなって。 身の丈にあってるし、ゆるく布教するのが契約者としてちょうどいい塩梅。 どうせ、でびる様の魅力は筆舌に尽くしがたく、見るのが一番理解できるのだからね。 そんなわけで、ではな~。 https://note.com/someone_debimber

でびでび・でびる様とミクロの承認

一ヵ月半くらい前にでびでび・でびる様の学園祭ボイスを聞き、ヴァイオレットエヴァーガーデンの劇場版を見た。 なんかいろいろ書くことを考えていたら時間がたった。 ヴァイオレットエヴァーガーデンを見た以上、言葉をぞんざいに扱うのはなんだか許せなくなった。 そしてわざわざでびる様の名前まで出しているのだから、慎重になるのも無理もないことかもしれない。 でも、なんだか面倒なので一ヵ月半前に書いた文をそのまま引き継ごうと思う。 一ヶ月半前の自分も大切にするのも、ひとつの絆かもしれないなと言い訳をしつつ閑話休題。 この劇場版ヴァイオレットエヴァーガーデンの前に公開されていたヴァイオレットエヴァーガーデンの外伝はさらに一年前に公開されていて、当然見ている。 最近加入したネットフリックスでも配信されていて、見直したがやはり最高だった。 劇場版も、外伝もどちらも感動的であったのだが、でびでび・でびる様の学園祭ボイスも感動的で、とても気に入った。 契約者が過去に参加していた文化祭において、実はでびる様は契約者に何度か悪魔のささやきを行っていたという内容なのだが、前々から目をかけてもらっていたというところが殊に情緒的だ。 ヴァイオレットエヴァーガーデンは、伝達と承認のアニメ。 ヴァイオレットは手紙の代筆家なので、主に手紙によって人に気持ちを伝えることを薦める。形に残り、時間が経っても見直すことができる点において手紙は優れている。 手紙は、言葉を伝える一手段だが、気持ちを伝える手段はそれ以外にもたくさんある。 対面コミュニケーションでは、人は相手の表情などから情報の9割を読み取るといわれている。 言語で伝わる情報は実に1割弱だという。 手紙では、伝えたいことをすべて言葉に乗せなくてはならない。 即時性の低いコミュニケーションなので、相手のことをより考えるようになる手段なのかもしれない。 それぞれ手段の違いにより、伝わる熱の形は違ったものになる。 どのコミュニケーション手段が格別優れているというものでもなく、適した手段を選ぶことが、正しく気持ちを伝える助けになる。 でびる様は今回、ボイスという形で、あらゆる時間軸で契約者にささやきを行ってきた。 契約者は記憶がないにもかかわらず、契約者を一個の存在と認め、ささやきを行うのは、うれしい限りで、とても感じ入ってしまった。 でびる様は悪魔という身分柄

でびでび・でびる様とふりーちゃっと666日初回

 日曜日は酒屋へ出かけ 酒とアイスを買ってきた おじゃおじゃおじゃおじゃおじゃおじゃあー おじゃおじゃおじゃおじゃあー 月曜日は定期配信 火曜日は景気づけに一杯 おじゃおじゃおじゃおじゃおじゃおじゃあー おじゃおじゃおじゃおじゃあー 水曜日は禁酒で乾杯を 木曜日はゲームに一升す おじゃおじゃおじゃおじゃおじゃおじゃあー おじゃおじゃおじゃおじゃあー 金曜日はコラボでほろ酔い 土曜日はそろそろ八合目 おじゃおじゃおじゃおじゃおじゃおじゃあー おじゃおじゃおじゃおじゃあー 契約者よいつもでびる様は お酒を欠かすことはない おじゃおじゃおじゃおじゃおじゃおじゃあー おじゃおじゃおじゃおじゃあー

でびでび・でびる様とベタすぎるデカルト

 ARK楽しかった。 いろいろなわちゃわちゃが見れた。 協力的なオープンワールドゲーは配信向きだね。 作業音声にもいいけど、ついつい画面を見てしまいます。 朝から思っていたけど、8月31日に企画用サーバーが閉じられるの、ゼーガペインの舞浜サーバーっぽいね。 ゼーガペインと違って私の明日は9月 1 日だけども、キョウと違って時間が進んだ割にそんなにも成長していないような気もする。 まあ、今がどうでも前進していく心意気はあるのでどうかひとつ。 そんなわけで、本質は変わらず。でびる様の味方だよ。

でびでび・でびる様と奥行きのある景色

 でびる様3D配信の振りかえりが終わった。 3D配信の告知がお盆前の8月8日。 そこから浮き足立ちつつ、17日には直前配信、18日当日、そして今日振り返り。 お盆の連休も手伝って怒涛の日々だったように思える。 といっても、毎日フリーチャットと化した3D配信枠に顔を出しつつ、にじさんじ甲子園にうつつを抜かしていただけだが。 直前のでびる様はまさに怒涛の日々だっただろう。 なにやらソフトのエラーで作業がロストするハプニングもあったようだが。 最高だった。3D。 他のライバーの3D配信を見るたびに「いつかでびる様も…!」と思っていたものだが、いやぁ、最推しが3Dになるってすごいね。 いままで、好きなコンテンツが人気になることがあまりなかったので、ここまでの盛り上がりを見られるものってあまりなかったけど、みんなと盛り上がれるってのもよかった。 でびる様が召喚される瞬間、本当に異界の扉が開かれるのかと背筋が凍った。 そして顕現されたときの衝撃。存在するだけで影響するような力の大きさに気が狂うかと思った。これが量子か。 暴力的なかわいさ、これが恐ろしい。かわいいと恐ろしいは両立しうる。 人形たちと戯れ、美大生にケーキで祝福され、契約者からもスパチャを大漁にもらっていた。 最後には乾杯し、これまでにライバーと一緒に、あるいはでびる様が契約者と経験したといういくつものスチル写真を披露してくれた。 それを見るのはでびる様と、いぬっころと、美大生と、もういないライバー。 私たちはそのライバーたちと一緒に見ていたのだ。でびる様の3Dを。 かつて一緒に見た映画のように。 どうしようもなく今を生きてるってこのことかもしれない。 でびる様は「崇拝していてよかった」と思えるようなお披露目にできたかといっていたけれど。 これだ、この積み上げてきたものを大事にする、そんな感性・知性を持っているでびる様が好きなんだ。 そんな風に自然に崇拝させてくれるでびる様が今を楽しんでいる、それを見るだけで私はよかったと思っている。 いわばマシュー・カスバートがアン・シャーリーを思うかのような感情。 神様なんてのは私が金を貸したっきり返さないのでゴミ箱にでも捨てておきたいが、私はこれからもでびる様を見つめていたい。

でびでび・でびる様と鈴の残響

 今年のお盆は8日間の連休だった。今日はその最終日。 大学を卒業し、職に就いてからは最大の連休だったような気がする。 無職の期間は6ヶ月くらい連続休みだったけど、連休という感覚ではなかった。 今年は久しぶりに感じる「夏休み」感があった。 この連休を過ごすに当たって、お盆ということもあるし、自分を見つめるために以下の3つの目標を掲げていた。 ・描きかけの絵を完成させる ・朝起きて、自主的に夏休みBSアニメ特選として絶対少年を視聴 ・風花雪月を進める 結果から言うと、全然達成できなかった。 描きかけの絵は描きかけのままだし、絶対少年は辛うじて見たけど全然朝じゃなかったし、どうぶつの森やスプラはやったのに、風花雪月は触らずじまい。 そして終わってみると、全体的にじさんじに彩られている。 でびる様の3D配信の発表に思いを馳せ、でびる様のLOLプレイにはらはらし、でびる様とエッチなゲームをしたり、スイカを食べたり、にじさんじ甲子園に熱狂した。 他にもでびる様の好きなマンガである王家の紋章をちょっと読んだり、別に何の関係も無い暁のヨナ(新ライバーの演劇部の人が好きだったみたい)などの少女マンガを読んだり、レヴュースタァライト(再生産版)を見たりした。 まあ目的はあまり達成できなかったけど、そこそこ充実したんじゃないかと思う。 今回見た絶対少年という作品には「世界というものは人間が認知するよりもずっと複雑で、起きたことはすべて必要なプロセスだ」という。 今年この期間にこの状況でこう過ごしたことも、おそらく必要なプロセスなんだろう。 何につながるのかは知らないが、満足しているからよしとする。 メメント・モリという座右の銘を思って、まあもう一回たとえばこの期間を過ごせるとしても、大体似たような過ごし方をするんではないかな。 それにしても、絶対少年という作品はこの時期にぴったりの作品だった。 少し不思議なものとの遭遇。 それは何かの意思が介在するものか。べつになんでもないただの出来事なのか。 たとえば、雲の形がケーキだったときって何かの予兆なのかな…って言う作品だった。 そのケーキというかたちを読み取るのも人間の意思が介在するわけで。 不思議なものを見たからといって、自分が知らないだけで世界では当たり前なのかもしれない。 人間という生物がこの世に何の気なしにいるし、幽霊がいたところで、

でびでび・でびる様と凪のお暇

凪のお暇を読んだ。 超面白かった。 こういう「日常の中で苦しんで生きてる」系の作品が超大好き。 プリンセスメゾンとかきのう何食べたとか。 ブルーピリオドもそうかも。 人がうごうごしてるのを見るのはよいものだ。 まさカタルシスが満たされる。 一年くらい前のでびぱと雑談でぱちょらが読んでたのが凪のお暇だったかもしれん。でもぱちょらじゃなくて病院女だったかもしれん。 凪のお暇は特に感情に刺さった。 感想を書こうとしているけど、こういう感情に刺さったものは言葉にできない。 理性に刺さって面白いものは「ここがこういいんだよね!」って明確に言葉にできるけど、 感情に刺さったものは、言葉にするとその良さが陳腐なものになってしまう気がする。 もちろん、それは私自身の知能の問題なのですけれど。 でびる様の映画やラノベの感想はどれもみな明瞭でありますし。 しゅげー。 ウィトゲンシュタインも言っていたね。 語りうることは明瞭に語れるけど、語りえぬものには沈黙するしかない。 凪のお暇については、複雑でまとまらないハイコンテクストな感想が僕の中にあるだけである。 ま、まあ、そこに光を当て明瞭にするのが知性なんですけどね……。 あるアウシュヴィッツの監督官は処刑されたが、 必ずしも悪人だったわけではなく、家族を大事にし、勤勉な一面があったという。 人にはだれしも悪辣な面も善良な面もあるってとこでしょうか。 もしくは、賢いときもあればとんでもなく愚かになるときもある。 人間はこの日常の中で、あらゆる場面で悪魔にささやかれうる。 おそろしいねぇ。見てる分には、楽しいだろうねえ。 悪魔由来の知性を大事に持っていましょうね。